はじめに

おばあちゃんの90歳の卒寿のお祝いの時、配ったものです。
話し好きなおばあちゃんが何度も何度も話してくれた思い出話をまとめたものです。

   ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

    うらうら日記

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私は大正4年4月18日、東京深川、森下町に生まれました。

いままでの思い出を書き綴ってみました・・・


市電に撥ねられる!

私が5歳の時、近くを通る電車に撥ねられたそうです!
幸い、かすり傷ひとつ無かったそうです。
昔の市電だからゆっくり走っていたからでしょうか?
私が小さくて当たり所が良かったのでしょう。
うちの人はさぞビックリした事だと思います。


関東大震災!

大正12年9月1日 私が8歳、小学校2年の時でした!
その日、2学期が始まり始業式があって学校が早く終わったので、
私とお姉さんは、毎月1日にすることにしている貯金をするために、
郵便局へ行っていたんです!
郵便局を出たところで、地震!
怖くて這うようにして家に帰って来たら、お父さんが心配して外に出て待っていました!

そのうち、あちこちから火の手が上がり、清澄公園へ避難することになって、
慌ててタンスから着物を出して荷造りしたのですが、
後で見たら、着物ではなく帯ばかりだったんですよ(^^ゞ よほど慌てていたんですね。
私は仏壇の位牌を持たされて逃げたのですが、途中、誰かに押されて川の中に落ちてしまったんです!
すぐに引き上げられたんですが、位牌は流れて行ってしまいました!
きっと、仏さんが身代わりになってくれたんだと思います。
あっという間に一面火の海!川の中には火事を逃れて飛び込む人、溺れる人、
あちこちには死体がゴロゴロ。。。!!
もう夢中で逃げました!
それはそれは凄い光景でした!

私達家族は全員無事に避難できました。
でも、家は焼けてしまいました。


伊那へ疎開

震災で家を焼かれてしまい、私は伊那のお母さんの実家へ預けられました。
お姉さんは学校の関係で、妹・弟は小さいので親と一緒に東京に残りました。
私だけ伊那の学校へ転校したのです。

おじいさん達から可愛がられましたが、とっても心細かったです。
学校では「東京の焼け出され」とからかわれもしました。
それでも家ができるまでと思って我慢しました。
家に戻れた時はとっても嬉しかったです。


私の名前のこと

私の名前は「うら子」
実は私はこの名前が好きではありません。
うら=裏 を連想してしまうんです。
私は4月生まれだから「春うらら」から付けられたのでは?と言われますが・・・

どうしてこの名前を付けたかお母さんに聞いたことがありました。
近所に「うらちゃん」というべっぴんさんがいて、女の子が産まれたら「うら子」と付けようと思っていたんだそうです。

私は自分で言うのも変ですが、学校の成績も良く、総代で名前を呼ばれる機会が多かったのですが、
名前を呼ばれる度、「いやだな~」と思っていたんです。
同じ学年に「浦蔵さん」という男の子もいて、その子も頭が良かったんですが、総代になるのは、私と浦蔵さんに決まっていましたね。
「うら・・」の付く名前って良いってことかしら?(笑)

それに、「裏」の意味があったとするなら、いままで90年も元気で生きて来れたのは、苦難を裏返す運があったのではないかしら?
やっぱり名前のお陰かな?良い名前ということにしておきましょう♪(^^)


たびたび伊那の家へ

私は、子供の頃は夏バテがひどくて、夏休みになるとお母さんの実家へひとりで避暑に来ていました。
夏になるとご飯が食べれなくなってしまうのです。
小学校6年生の頃からは一人で夜行列車に乗って行きました!
新宿駅まではお父さんが送って来て、回りの席の人に寝ていたら辰野で起こすようにお願いしていました。
でも、私は一睡もしなかったですよ!
辰野で飯田線に乗り換え、飯島駅へ着くとおじいさんが迎えに来ていました。
飯島から中川村まで歩いたんですよ!
信州の美味しい空気を吸って野山で遊んだお陰で丈夫になったのかもしれません。


お父さんとお母さんのこと

私のお父さんは、所謂明治の人その者でした。
キチンとしていないと気がすまない几帳面な人でした。
私の家はお米屋さんでした。
5時にお店を閉めると、まず道の向こう側の銭湯へお風呂に入りに行き、
6時には夕ご飯。
お酒は全然飲みません。
お父さんのおかずは、子供達とは違ってちょっと良いおかず!
お魚はお頭付き!
でも、おさしみがあれば子供達にも2切れずつ分けてくれました。

ご飯のときはおしゃべりしてはいけません!
履物を脱いだら揃えなさい!
早くお風呂に行って来なさい!などなどなど・・
事細かく言われました。
その分、お母さんは何も言わなかったですね。

お父さんとお母さんは10歳以上離れていて、よくお母さんが「お父さんと一緒に並んで歩くのは嫌だ」と言っていました。
そのせいか今でも、孫達にあまり年の開いた人はダメだよと言い聞かせています(笑)

お母さんは、色白で大人しい綺麗な人でした。
でも食の細い人だったので、私が19歳のとき結核に罹り、隔離病棟に入院し、私達子供は面会にも行けなかったですね。
そして2年後私が21歳の時とうとう亡くなってしまいました!
一番下の妹がまだ9歳のときでした!
今だったら良い薬があるのに・・・

お母さんが亡くなった後は、お父さんがご飯の支度をしてくれました。
私も朝6時に起きてお店の拭き掃除をしてから出かけたんですよ。
洗濯は土曜日が半日だったので、帰って来てからやりました。
今のように洗濯機があったわけではないので、洗たく板で手洗いです!

私が24歳でお嫁に行くときは全部お父さんが嫁入り支度をしてくれました!

お母さんが早く亡くなると悲しいですよ!
だからその分、私は長生きしています。(*^。^*)


日本銀行へ就職!

高等科を卒業後、16歳で日本銀行へ就職しました。
当時、女の人が勤める所といえば、店員さんとか紡績工場へ行く人が多かった中、3歳年上のお姉さんが日本興業銀行へ勤めていたので、私も銀行に行こうと思って猛勉強をしました。
興業銀行のお昼は精養軒から来て美味しいおかずだったけど、日銀はそうでもなかったですね。
でも、給料は日銀の方が良かったです。
仕事はお札の出し入れの記録です。番号を帳簿に付けるんです。
入社して1ヶ月は毎日お札を数える練習でした。
銀行は3時までの勤めで、4時には家に帰って来れたんですよ。今の人は働き過ぎだわね。
帰り道、おしるこやあんみつを食べたりして、楽しかったわよ。

24歳で結婚するまでの8年間勤めていました。


結婚

信州中野からお嫁に来ていたお友達のキノちゃんの紹介で、キノちゃんのお兄さんの由治さんと知り合い、24歳の時、結婚しました。
新居は神奈川県藤沢市。閑静な住宅街で庭付きの家でした。
しばらくして、由治さんは召集されて行ってしまいました!
ひとり藤沢の家にいるのが寂しくて、すぐ東京の実家に帰って来てしまいました。
そして女の子を出産。
そのうち、内地勤務で青森で一緒に住むことになって、1年ぐらい青森にも住んでいました。
そこで、2人目の女の子を出産。
戦争が激しくなって来たので、私達は中野市の由治さんの実家に疎開しました。
昭和20年3月の東京大空襲では東京深川の家も焼けてしまいました!
お父さん達は伊那の家に疎開していて無事でしたが、東京に残っていたお姉さん一家が焼け死んでしまいました!

戦争が終わって、由治さんは復員して来たけど、病気で昭和21年1月27日他界してしまいました!
幼い子供2人を抱えて途方にくれていた時、由治さんの弟の金次さんと結婚したのです。
その後の事は皆の知ってのとおりです。


そして・・・

金次さんも平成9年10月14日他界しました。
人生いろいろありましたが、今は長男夫婦と孫達とジョンと楽しく暮らしています。
9人の孫のうち4人が結婚し、可愛いひ孫が3人。長生きをしてみるものです。

そしてきょう、私は90歳を迎えました!
これからも元気に過ごせたらと願っています。   

平成17年4月18日      

                   うら子

      ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

後述

(ジョンママ記)
卒寿のお祝いの懐かしい写真です。

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いつまでも元気でいてほしかったおばあちゃん。 平成19年4月24日、92歳の誕生日を迎えて6日後に他界しました。
最後まで気丈でした。持病の腎臓病が検査の数値の上では重くて、いつどうかなっても不思議ではないとお医者さんから言われていました。でもいくら検査結果が驚くべき数値でもおばあちゃんは元気でした。しっかりしていました。
ちょっと困ったのは、最近の出来事をすぐ忘れてしまって何度も聞いたり話したりすること、歩きにくくなってトイレに連れて行くのが大変だったこと、・・・あれ?大変だったことって忘れています。何か遠い昔の事のように思えるから不思議ですね。
4月の初め、軽い脳梗塞で入院した時も、「私はどこも悪い所なんてないから、家に帰る!」と元気でした。でも、やはり腎臓の機能が悪くて、どんどんと元気がなくなりました。
それでも、脳梗塞が回復したところで、退院して家で介護しようということになって、準備していました。最後は、あれあれ?という感じに弱ってきて、退院する予定の1日前に息を引き取りました。
私に介護させるのは可哀想と気遣ってくれたのだと思います。
最後まで優しいおばあちゃんでした。。。
ありがとう、おばあちゃん。
本当にお世話になりました。

携帯ムービーに、おばあちゃんのが残っていました(*^_^*)
ジョンを触れなかったおばあちゃんがジョンをなでています。
おばあちゃんの声もなつかしい・・・・(ρ_;)

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